クララ・ハスキルとフェレンツ・フリッチャイの、ドイツ・グラモフォンでのモーツァルト

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レコード芸術』誌が2023年7月号で休刊となる。休刊した雑誌が復刊するのは稀なので、実質「廃刊」なんだろうと言われているが、如何に?

クラシック音楽愛好家界隈では、『レコード芸術』誌は凋落の果ての休刊だと見做されているようだけれど、実際そうなんだろうなとも思う。数十年前は、レコード会社と交渉して、原盤の販売権か何かを分けてもらい、「名盤コレクション 蘇る巨匠たち」と題したレーベルもどきな活動をしていた。おそらく、この『レコード芸術』誌の取り組みに刺激されたのだろうか、大手レーベルは俄然、自社に眠る古い録音を積極的に復刻して売り出すようになり、『レコード芸術』誌の販路を使わずに、手前味噌で「巨匠」を蘇らせた。今や海外でもせっせと古い録音を復刻しているが、最近は束売りが流行しているらしい。手を変え品を変え、再リリースを繰り返している昨今の状況は、巨匠を蘇らせるという意図とは大分ズレたところに本意があるのではないかと思ってしまう。つまるところ、新規の録音制作の費用がかさむので、コスト削減をしつつ、安定的にリリース数を稼いでいるに過ぎないってところだろうか。リリースし続けないと、業態不振の噂が一層真実味を増し、イメージ戦略的にアウトなのだ。

「名盤コレクション 蘇る巨匠たち」の復刻シリーズから手を引いた『レコード芸術』誌は、しばらく雑誌発行以外はしていなかったが、新譜の音源を剽窃的に拝借してかき集めたCDを付録として付けだした。これは評判が悪かった。『レコード芸術』誌としては、新譜の聴かせ所を、試食販売よろしくつけるっていいアイデアじゃないかと思ったのだろうけれど、一部音楽愛好家からは、無残な解体切り売りでしかなく、嫌悪の対象だった。この付録企画は、日本のオーケストラの蔵出し音源を織り込むという形で一定の改善はみられたが、試食販売よろしき勝手な切り売りのトラックに嫌悪感を示すユーザーの印象を良い方向に転換させることは無理だったようだ。

そういえば、『レコード芸術』誌は、CD付録から撤退した後、CD復刻の企画にノミネートされなさそうな、オットー・ゲルデスの二級品の録音を付録につけたこともあった。こうした付録は、"BBC Music Magazine"が得意とする手法で、平林直哉の『クラシック・プレス』が廃刊となる前にも、そうしたことをやっていた。こういう付録こそは、コレクターの購買意欲を搔き立てるものなのだけれど、雑誌を作って販売する側からすると、手回しに手間がかかるらしい。しかし、手間がかかるからと、みすみす購買意欲をそそるコンテンツ作りに取り組まないのは怠慢ではなかったか。「名盤コレクション 蘇る巨匠たち」のシリーズを継続し、それこそゲルデスのような、復刻企画からあぶれてしまうアーティストの録音を探し出して付録につけていれば、せめて2024年1月号まで延命できたのではないかと思う。

閑話休題。『レコード芸術』誌が、レコード会社に企画を持ち込んで商品を作れていた頃の、その「名盤コレクション 蘇る巨匠たち」の一枚として、ドイツ・グラモフォン原盤の、クララ・ハスキルが独奏を務めたヴォルフガング・アマデウスモーツァルトのピアノ協奏曲2曲―第19番&第27番―を取り上げたい。どちらの曲も伴奏の指揮を担当しているのは、フェレンツ・フリッチャイだが、フリッチャイの指揮しているオーケストラと録音データは異なる。第19番は1955年9月21日とその翌日の日程で、旧東ドイツのベルリンのイエス・キリスト教会で収録された、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との共演で、第27番は1957年5月7日から9日にかけてミュンヘンのヘルクレスザールで収録された、バイエルン国立管弦楽団とのもの。この2曲の録音は、本家ドイツ・グラモフォンから、その後何度か再リリースされた。そうしたリリースの中には、この2曲の余白にモーツァルトのピアノ・ソナタを逸品加えて発売したものもあるが、これは蛇足というやつで、どうせなら2曲の協奏曲のオードブルとしてカップリングして欲しかった。

ハスキルルーマニアブカレスト出身のピアニスト。脊柱側弯症の持病があったり、脳腫瘍の手術を受けたりと、健康面で恵まれなかった人だった。師匠に恵まれた人と言って良いかどうかは微妙だ。アルフレッド・コルトーの門下だが、コルトーは意図的にハスキルをぞんざいに扱った。実質的にはラザール・レヴィがハスキルに稽古をつけていたらしいが、ハスキルにとって、コルトーは、チャールズ・ライト・ミルズがいう所の「重要な他者」だった。だから、せめて自分のコンサートに一度でいいから足を運んでくれるよう何度もコルトーに懇願したが、コルトーは絶対にハスキルの出演するコンサートには行かなかった。では、コルトーハスキルを心底嫌っていたのかというと、そうではない。同じコルトー門下の遠山慶子によれば、ハスキルを「孤独な時にもっとも素晴らしいもの生み出す才能」として「生涯満足をさせないこと」を決め、敢えて突き放していたのであった。実際、コルトーは自分が行かない代わりに遠山にハスキルのコンサートに行かせて、その都度どうだったか自分に報告させ、常に気にかけていたという。

フリッチャイブダペスト出身のハンガリー人指揮者。ゾルタン・コダーイの薫陶を受けた有数の弟子のひとりで、ピアノだけでなく弦・管楽器の奏法にも熟達し、作曲もこなした才人だった。ハンガリーの指揮者は、きびきびとしたテンポ感が特徴の基本線としてあって、フリッチャイもその例に洩れなかったが、1958年に白血病に罹患して以降は、芸風に大らかさが加わった。その芸風の転換から大化けが期待されたが、寛解した病の再発により48歳の若さで命を散らしてしまった。

復刻CDを手前味噌で手掛ける力のあった頃の『レコード芸術』が復刻に値する名盤として選んだ演奏だけあって、いずれの曲の録音もモノラル方式であることを致命的な欠点と見做さなければ、いい加減なものではない。昨今の時代考証に基づいた解釈に依拠する演奏に比べれば、ハスキルの演奏よりも溌溂とした演奏はいくらでもあるだろうが、そうした時代考証的演奏とは別の魅力があるのは確かだろう。

ハスキルモーツァルト作品の名手としてよく喧伝された人だった。しかし、モーツァルトの音楽を天真爛漫で純真無垢な音楽だと思っている人達からは、あまり評判が良くない。はちきれんばかりの生命力の迸りだとか、無邪気な明るさといったものを表現するには、陰影が濃すぎるというわけだ。満足的な幸せをモーツァルトの音楽から享受したいのに、ハスキルの演奏からは幸福感がちっとも伝わってこないというわけだ。健康に恵まれず、経済的にも清貧だったハスキルから漲る活力を求めるのは、魚屋さんでサーロイン・ステーキを所望するような無茶だと思うのだが…。

しかし、モーツァルトの音楽を天真爛漫で純真無垢な音楽と見做すのは、そうありたいという愛好家の願望に過ぎない。ハスキルの演奏は、モーツァルトの音楽が喜と楽の側面だけではないことを感じさせてくれる、立派なものである。演奏として、ハスキルのコンディションがよさそうなのは、第27番の方だろうが、第19番の演奏からも、物の哀れというか、しみじみとした情感が滲み出る。殊更美しいメロディを可憐に飾り立てるのではなく、衒いを捨てて淡々と奏でるハスキルのピアノからは、中原中也の『汚れつちまつた悲しみに』のような、傷ついた抒情が感じられる。ただ、白血病に罹患する前のフリッチャイは、第19番ではハスキルに共鳴しきれている気がしない。弦楽器には、メロディ・ラインにカンタービレ重視でヴィブラートを効かせ、管楽器セクションにも雄弁に聴こえるようにニュアンスをつけている。もっと芝居のかかった所作を好むピアニストであれば相乗効果は生まれただろうが、派手好みでないハスキルの音楽性には合致していない。賓客に全力のおもてなしをするものの、それが賓客の好みからずれていえうという構図だ。ただ、その奏楽には、打算ではない両者の真剣さが感じられる。故に、一度再生してしまうと、停止ボタンを安直に押すのが躊躇われる。

第27番の協奏曲は、饒舌さに陥らないハスキルの奥ゆかしいピアノがさすがの出来栄え。バイエルン国立管弦楽団には、先のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のような力みすぎはなく、フリッチャイは洒脱な伴奏でハスキルに寄り添うことに成功している。ブックレットで解説している濱田滋郎は「モーツァルトに化(な)りきった純正無比な演奏」と見出しに書いているが、正しくは、モーツァルトになりきることを希った演奏ではなかったか。