マヌエル・パラウの《東方の協奏曲》を中心に

Artesoro Classicaの記事で、当該の店で入手したCDについていずれ書くという約束をしたので、書いてみることにする。紹介するのは、マヌエル・パラウ(Manuel Palau, 1893-1967)の《東方の協奏曲》(Concierto Levantino)と《劇的協奏曲》(Concierto Dramático)をカップリングしたアルバムである。どちらの曲もマヌエル・ガルドゥフ(Manuel Galduf, 1940-)の指揮するバレンシア自治州青少年管弦楽団(Jove Orquestra de la Generalitat Valenciana)が伴奏をつけているが、《東方の協奏曲》はギター協奏曲なので、ギター独奏をラファエル・セリャレト(Rafael Serrallet, 1971-)、《劇的協奏曲》はピアノ協奏曲なので、ピアノ独奏をバルトメウ・ハウメ(Bartomeu Jaume, 1957-)がそれぞれ担当している。AmazonではこのCDの扱いがなく、配信のみなのが残念。だからこそ、Artesoro Classica経由でなんとか入手したわけだが…。

パラウは、 バレンシア、アルファラ・デ・パトリアルカに生まれたスペインの作曲家。バレンシア音楽院でピアノと作曲を学び、エンリケ・グラナドスの謦咳にも接したが、1926年にパリに留学してシャルル・ケクランとモーリス・ラヴェルの薫陶を受けた。この勉学の成果をバレンシアに持ち帰り、母校のバレンシア音楽院の院長を務めた。つまるところ、近代フランスの音楽の語法をスペインに齎し、後進を育てる形でスペイン音楽の近代化に一役買ったというのが、パラウの功績というわけだ。

パラウの作品は、まだ全貌が明らかになっているわけではないが、《東方の協奏曲》を聴いたことのある人にとっては、パラウのこの作品こそ愛すべきギター協奏曲の第一席であろう。1990年代半ばには、ナルシソ・イエペスのギター独奏と、オドン・アロンソの指揮するスペイン国立管弦楽団の伴奏による録音がCDとして復刻されて流通していた。イエペスはこの曲を1949年に初演した当人なので、この曲を知るという意味では好適である。しかし、これは廃盤になって久しく、国内盤での復刻の兆しもない。イエペス以外にこの曲の録音に挑戦する人はいないのかと、いろいろ探りを入れた結果、「バレンシア音楽学会」(Institut Valencià de la Música)というスペインのローカルなレーベル(どうやらスペインの公共機関らしい)が、この曲のCDを新しく録音してリリースしていることを知り、冒頭で書いたように、Artesoro Classicaの店主の力を借りて、何とか入手することに成功した。CDケース(といってもCD以外はすべて紙製。CDを収納するスリットの紙質が悪く、傷がつきやすいので、別途フィルムケースを用意すべし。)に記載されている製品番号は「PMV010」である。バーコード番号はどこにも記載されていない。

《東方の協奏曲》が知名度の点で後れを取っているのは、ホアキン・ロドリーゴの《アランフェス協奏曲》が大ヒット作として鎮座しているのが原因だ…と考えてみる。19世紀で廃れたギター協奏曲という音楽形態を、1939年にリバイバル・ヒットさせたのが、《アランフェス協奏曲》だった。そんなわけで、数多のギタリストたちが《アランフェス協奏曲》に群がった。《東方の協奏曲》は1947年の作だから、ロドリーゴの作品のように20世紀初のギター協奏曲とは言えない。
《東方の協奏曲》が有名になれないのは、アンドレス・セゴビアが曲作りに関わっていないからだ…と考えてみる。《アランフェス協奏曲》の制作に関われなかったセゴビアは、知己の作曲家たちの尻を叩いて次々とギター協奏曲を書かせた。例えばロドリーゴセゴビアの趣味に合わせて《ある貴紳のための幻想曲》を献呈したし、マヌエル・ポンセは《南の協奏曲》を書き上げた。マリオ・カステルヌォーヴォ=テデスコもアメリカに亡命する前にギター協奏曲第1番を書いてセゴビアに献呈している。これらのセゴビアが作らせたギター協奏曲たちは、《アランフェス協奏曲》以外のギター協奏曲を探す際に、必ずといっていいほど参照される。《東方の協奏曲》の曲作りにかかわったのは、レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ―《アランフェス協奏曲》の初演者―であった。また、デ・ラ・マーサは自分で初演するのではなく、弟子のイエペスに独奏を任せてしまった。被献呈者のこの曲の扱いが微妙なので、この曲の立ち位置も微妙なのだ。
《東方の協奏曲》の知名度が微妙なのは曲がへっぽこなせいだ、と考えてみる。楽式的には、急-緩-急の三楽章構成という協奏曲の基本構成を遵守しており、奇抜な曲ではない。しかし、先に挙げた20世紀のギター協奏曲は、いずれも楽式的に奇抜なところはない。奇抜ではないところは、曲の欠点ではないようだ。使われているモチーフに鼻歌で歌えそうなものが少ないというのは、《アランフェス協奏曲》なんかと比べると不利そうだが、パラウの音楽は無調音楽ではないので、旋律線の甘さは控えめではあっても無味ではない。また、ギター独奏が埋没しないようなオーケストレーションの配慮も、ギター協奏曲としては嬉しい点であろう。そのオーケストラの響きも、弦楽合奏をベースにしながら効果的に木管楽器金管楽器を配置するあたりに、フランスで学んだセンスを感じさせる。聴けば聴くほど、腹八分目のウェル・バランスな爽快サウンドに惹きつけられる。
《東方の協奏曲》が広く認知されないのは、しっかりプロモーションをしないからだ…と考えてみる。これは真っ当な考え方だと、私は思う。興味を持ってもらうには、宣材がないのはかなり不利だ。これは《東方の協奏曲》が抱える問題というよりも、パラウの作品というか、パラウそのものへの評価に関わることだ。そもそもパラウの作品の出版譜を音楽家が所持しているのを見たことがない。楽譜屋さんに行ってもお目にかからないので、そもそもちゃんと出版されているのだろうか、と首をかしげてしまう。彼の作品の録音も、バレンシア音楽学会が少しずつ行っているらしいので、パラウがすっかり忘れられた作曲家になっているわけではないのだろうが、販路の大きいレーベルが手掛けて沢山流通させ、多くの人に興味を持ってもらえるようにしないと、彼の評価は定まらぬまま忘れられてしまうのではないか、と思う。《東方の協奏曲》を聴くにつけ、パラウが知られないまま放置されるのは、なんだか勿体ないように、私は思う。

このパラウの2曲の協奏曲のカップリングのCDの収穫は、これまで聴く機会のなかったピアノとオーケストラのための《劇的協奏曲》を聴けたことである。楽式的には《東方の協奏曲》と大差ない。1946年にいったん完成させ、1954年に改訂したらしい。ただ、「劇的」というタイトルに恥じぬよう、冒頭からオーケストラを咆哮させ、起伏の大きな音楽を作り上げている。ただ、ピョートル・チャイコフスキーのような力業ではなく、ピアノの書法は煌びやか。洒脱な音楽に落ち着くのが、パラウの音楽の美学なのだろう。