クララ・ハスキルとフェレンツ・フリッチャイの、ドイツ・グラモフォンでのモーツァルト

EAN:Unknown

レコード芸術』誌が2023年7月号で休刊となる。休刊した雑誌が復刊するのは稀なので、実質「廃刊」なんだろうと言われているが、如何に?

クラシック音楽愛好家界隈では、『レコード芸術』誌は凋落の果ての休刊だと見做されているようだけれど、実際そうなんだろうなとも思う。数十年前は、レコード会社と交渉して、原盤の販売権か何かを分けてもらい、「名盤コレクション 蘇る巨匠たち」と題したレーベルもどきな活動をしていた。おそらく、この『レコード芸術』誌の取り組みに刺激されたのだろうか、大手レーベルは俄然、自社に眠る古い録音を積極的に復刻して売り出すようになり、『レコード芸術』誌の販路を使わずに、手前味噌で「巨匠」を蘇らせた。今や海外でもせっせと古い録音を復刻しているが、最近は束売りが流行しているらしい。手を変え品を変え、再リリースを繰り返している昨今の状況は、巨匠を蘇らせるという意図とは大分ズレたところに本意があるのではないかと思ってしまう。つまるところ、新規の録音制作の費用がかさむので、コスト削減をしつつ、安定的にリリース数を稼いでいるに過ぎないってところだろうか。リリースし続けないと、業態不振の噂が一層真実味を増し、イメージ戦略的にアウトなのだ。

「名盤コレクション 蘇る巨匠たち」の復刻シリーズから手を引いた『レコード芸術』誌は、しばらく雑誌発行以外はしていなかったが、新譜の音源を剽窃的に拝借してかき集めたCDを付録として付けだした。これは評判が悪かった。『レコード芸術』誌としては、新譜の聴かせ所を、試食販売よろしくつけるっていいアイデアじゃないかと思ったのだろうけれど、一部音楽愛好家からは、無残な解体切り売りでしかなく、嫌悪の対象だった。この付録企画は、日本のオーケストラの蔵出し音源を織り込むという形で一定の改善はみられたが、試食販売よろしき勝手な切り売りのトラックに嫌悪感を示すユーザーの印象を良い方向に転換させることは無理だったようだ。

そういえば、『レコード芸術』誌は、CD付録から撤退した後、CD復刻の企画にノミネートされなさそうな、オットー・ゲルデスの二級品の録音を付録につけたこともあった。こうした付録は、"BBC Music Magazine"が得意とする手法で、平林直哉の『クラシック・プレス』が廃刊となる前にも、そうしたことをやっていた。こういう付録こそは、コレクターの購買意欲を搔き立てるものなのだけれど、雑誌を作って販売する側からすると、手回しに手間がかかるらしい。しかし、手間がかかるからと、みすみす購買意欲をそそるコンテンツ作りに取り組まないのは怠慢ではなかったか。「名盤コレクション 蘇る巨匠たち」のシリーズを継続し、それこそゲルデスのような、復刻企画からあぶれてしまうアーティストの録音を探し出して付録につけていれば、せめて2024年1月号まで延命できたのではないかと思う。

閑話休題。『レコード芸術』誌が、レコード会社に企画を持ち込んで商品を作れていた頃の、その「名盤コレクション 蘇る巨匠たち」の一枚として、ドイツ・グラモフォン原盤の、クララ・ハスキルが独奏を務めたヴォルフガング・アマデウスモーツァルトのピアノ協奏曲2曲―第19番&第27番―を取り上げたい。どちらの曲も伴奏の指揮を担当しているのは、フェレンツ・フリッチャイだが、フリッチャイの指揮しているオーケストラと録音データは異なる。第19番は1955年9月21日とその翌日の日程で、旧東ドイツのベルリンのイエス・キリスト教会で収録された、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との共演で、第27番は1957年5月7日から9日にかけてミュンヘンのヘルクレスザールで収録された、バイエルン国立管弦楽団とのもの。この2曲の録音は、本家ドイツ・グラモフォンから、その後何度か再リリースされた。そうしたリリースの中には、この2曲の余白にモーツァルトのピアノ・ソナタを逸品加えて発売したものもあるが、これは蛇足というやつで、どうせなら2曲の協奏曲のオードブルとしてカップリングして欲しかった。

ハスキルルーマニアブカレスト出身のピアニスト。脊柱側弯症の持病があったり、脳腫瘍の手術を受けたりと、健康面で恵まれなかった人だった。師匠に恵まれた人と言って良いかどうかは微妙だ。アルフレッド・コルトーの門下だが、コルトーは意図的にハスキルをぞんざいに扱った。実質的にはラザール・レヴィがハスキルに稽古をつけていたらしいが、ハスキルにとって、コルトーは、チャールズ・ライト・ミルズがいう所の「重要な他者」だった。だから、せめて自分のコンサートに一度でいいから足を運んでくれるよう何度もコルトーに懇願したが、コルトーは絶対にハスキルの出演するコンサートには行かなかった。では、コルトーハスキルを心底嫌っていたのかというと、そうではない。同じコルトー門下の遠山慶子によれば、ハスキルを「孤独な時にもっとも素晴らしいもの生み出す才能」として「生涯満足をさせないこと」を決め、敢えて突き放していたのであった。実際、コルトーは自分が行かない代わりに遠山にハスキルのコンサートに行かせて、その都度どうだったか自分に報告させ、常に気にかけていたという。

フリッチャイブダペスト出身のハンガリー人指揮者。ゾルタン・コダーイの薫陶を受けた有数の弟子のひとりで、ピアノだけでなく弦・管楽器の奏法にも熟達し、作曲もこなした才人だった。ハンガリーの指揮者は、きびきびとしたテンポ感が特徴の基本線としてあって、フリッチャイもその例に洩れなかったが、1958年に白血病に罹患して以降は、芸風に大らかさが加わった。その芸風の転換から大化けが期待されたが、寛解した病の再発により48歳の若さで命を散らしてしまった。

復刻CDを手前味噌で手掛ける力のあった頃の『レコード芸術』が復刻に値する名盤として選んだ演奏だけあって、いずれの曲の録音もモノラル方式であることを致命的な欠点と見做さなければ、いい加減なものではない。昨今の時代考証に基づいた解釈に依拠する演奏に比べれば、ハスキルの演奏よりも溌溂とした演奏はいくらでもあるだろうが、そうした時代考証的演奏とは別の魅力があるのは確かだろう。

ハスキルモーツァルト作品の名手としてよく喧伝された人だった。しかし、モーツァルトの音楽を天真爛漫で純真無垢な音楽だと思っている人達からは、あまり評判が良くない。はちきれんばかりの生命力の迸りだとか、無邪気な明るさといったものを表現するには、陰影が濃すぎるというわけだ。満足的な幸せをモーツァルトの音楽から享受したいのに、ハスキルの演奏からは幸福感がちっとも伝わってこないというわけだ。健康に恵まれず、経済的にも清貧だったハスキルから漲る活力を求めるのは、魚屋さんでサーロイン・ステーキを所望するような無茶だと思うのだが…。

しかし、モーツァルトの音楽を天真爛漫で純真無垢な音楽と見做すのは、そうありたいという愛好家の願望に過ぎない。ハスキルの演奏は、モーツァルトの音楽が喜と楽の側面だけではないことを感じさせてくれる、立派なものである。演奏として、ハスキルのコンディションがよさそうなのは、第27番の方だろうが、第19番の演奏からも、物の哀れというか、しみじみとした情感が滲み出る。殊更美しいメロディを可憐に飾り立てるのではなく、衒いを捨てて淡々と奏でるハスキルのピアノからは、中原中也の『汚れつちまつた悲しみに』のような、傷ついた抒情が感じられる。ただ、白血病に罹患する前のフリッチャイは、第19番ではハスキルに共鳴しきれている気がしない。弦楽器には、メロディ・ラインにカンタービレ重視でヴィブラートを効かせ、管楽器セクションにも雄弁に聴こえるようにニュアンスをつけている。もっと芝居のかかった所作を好むピアニストであれば相乗効果は生まれただろうが、派手好みでないハスキルの音楽性には合致していない。賓客に全力のおもてなしをするものの、それが賓客の好みからずれていえうという構図だ。ただ、その奏楽には、打算ではない両者の真剣さが感じられる。故に、一度再生してしまうと、停止ボタンを安直に押すのが躊躇われる。

第27番の協奏曲は、饒舌さに陥らないハスキルの奥ゆかしいピアノがさすがの出来栄え。バイエルン国立管弦楽団には、先のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のような力みすぎはなく、フリッチャイは洒脱な伴奏でハスキルに寄り添うことに成功している。ブックレットで解説している濱田滋郎は「モーツァルトに化(な)りきった純正無比な演奏」と見出しに書いているが、正しくは、モーツァルトになりきることを希った演奏ではなかったか。

フィリップス・レーベルのグロリア・シリーズからのハイドン協奏曲集

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ハイドン トランペット協奏曲、ピアノ協奏曲
EAN:4988011119682

日本に於けるデジパック仕様CDのハシリである、フィリップス・レーベルのグロリア・シリーズからの1枚。フランツ・ヨーゼフ・ハイドンのトランペット協奏曲、ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲をそれぞれ1曲ずつチョイスして詰め合わせたアルバム。トランペット協奏曲(Hob.7e-1)はハリー・ゼーフェンシュテルン(Harry Sevenstern, 1925-2007)の独奏、ベルンハルト・パウムガルトナー(Bernhard Paumgartner, 1887-1971)の指揮するウィーン交響楽団(Wiener Symphoniker)の伴奏による1961年10月の録音。ピアノ協奏曲(Hob-18-2)は、いわゆる「ハンガリー風ロンド付き」といわれるニ長調の作品で、イングリット・ヘブラー(Ingrid Haebler, 1929-)の独奏とシモン・ゴールドベルク(Simon Goldberg, 1909-1993)の指揮するオランダ室内管弦楽団(Netherland Chamber Orchestra)の伴奏による1960年7月の演奏。ヴァイオリン協奏曲(Hob.7a-1)は、フェリックス・アーヨ(Felix Ayo, 1933-)の独奏と、アーヨの率いるイ・ムジチ(I Musici)による1960年10月の演奏だ。

ゼーフェンシュテルンの独奏によるトランペット協奏曲が、いわゆる珍品。このシリーズでCD化されて以降、全くお目にかかっていない。このCD付属のブックレットでは、ゼーフェンシュテルンについて「名手」と言う以上の情報を書いてくれていないので、多少の補足が必要であろう。ヒルフェルサムだかハーグだかの出身で、ユトレヒト近郊ティーンホーフェンにて没したトランペット奏者。アムステルダム音楽院で専門教育を受けている。14歳でラジオ放送用にトランペット演奏を披露するようになり、15歳でトゥシンスキー劇場附属のオーケストラのトランペット奏者として就職しつつ、様々なジャンルの音楽を演奏して腕を磨いたようだ。第二次世界大戦中はアメリカ軍の軍事慰問に携わり、戦後はオランダ放送フィルハーモニー管弦楽団の首席トランペット奏者になった。ジャズやポップのアルバムによく参加しており、ジャズマンとして彼を知っている人もいるのではないだろうか。同名の息子もジャズ・トランペット奏者として有名で、両者の話をする時には、名前の後にシニア、ジュニアをつける。無論、これはシニアの演奏である。
ウィーン交響楽団を指揮するパウムガルトナーは、ウィーン出身の指揮者。ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮法の先生でもある。音楽学者としても著名であったが、音楽学的知見をストレートに演奏に反映させることには慎重だったらしい。
ゼーフェンシュテルンのトランペット演奏は、音色は明るいものの、あまり小回りが利かず、細かいパッセージではどうしても力んでしまう傾向がある。働き盛りの頃のモーリス・アンドレの独奏と比べられると分が悪かろう。しかし、不器用ながらに第二楽章では心を込めたカンタービレを聴かせようという所作も見られ、大きな吹き損じも見られないので、ある程度「名手」としての沽券は守っているといえる。
トランペット独奏は生硬な印象ではあったが、伴奏は円やかで上品。パリパリしたトランペットを優しく包む包容力と間合いの良さで、演奏全体の印象を底上げしている感がある。どっしりと構えつつ、重苦しくならない伴奏は、古楽器奏法が一般化する以前のこの曲の伴奏の模範型であろう。

ヘブラーが独奏を務めるピアノ協奏曲の演奏は、彼女が得意とするヴォルフガング・アマデウスモーツァルトの作品演奏の延長線上にあると思わせる仕上がり。大袈裟な表現を避けながら、微妙に音の粒の大きさを調整して、フレーズの一つ一つに生気を吹き込むのが名手の妙技。下手な演奏で聴くと、伴奏和音連打が煩わしくなるのだが、ヘブラーの演奏は、そういう喧しさがなく流麗。伴奏を指揮するゴールドベルクは、旧ロシア領のヴウォツワヴェク出身のヴァイオリニストで、1929年から1934年にユダヤ人としてナチス政権に追放されるまでベルリン・フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスターを務めていた人。指揮者としても有能な人で、1955年に本CDで指揮しているオランダ室内管弦楽団の創設者でもある。ここで聴かせる伴奏は、まるでヘブラーのピアノ演奏のエフェクトのように感じる瞬間もあるほどにぴったりと合っているが、単純に独奏に従属しているわけではない。ロマンティックなテンポの伸縮を退けつつ、アーティキュレーションをしっかりつけてヘブラーのピアノを刺激する。オランダ室内管弦楽団の反応は俊敏だが、奏でられる音は脆くない。

ヴァイオリン協奏曲は、アーヨが仕切っていた頃のイ・ムジチの演奏ということで、アーヨが独奏を務めたアントニオ・ヴィヴァルディ作品の録音と同じようなアプローチ。イ・ムジチの甘美で良く整ったアンサンブルとアーヨの艶やかな独奏に、凡そ20分間、聴き手はうっとりしっぱなしであろう。ただ、当方としては、マロン・グラッセを口いっぱいにほおばっているような気分になるので、他の演奏でこの曲を聴いてみたくもなる。

マリー・シューブレのデビューCD

マリー・シューブレ(Marie Scheublé, 1974-)は、フランスのヴァイオリニスト。ジェラール・プーレの弟子で、1992年にパリで開催されたメニューイン国際ヴァイオリン・コンクールで優勝している。イェフディ・メニューインの秘蔵っ子らしい。尤も、メニューインの秘蔵っ子といわれた人はナイジェル・ケネディ、ダニエル・ホープやレイ・チェンと、多士済々だ。メニューインの秘蔵っ子という触れ込みでだけで名を売るには、そういった名だたる人材を蹴散らしていかなければならない。

そんなシューブレのデビューCDが、このドミトリー・ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich, 1906-1975)のヴァイオリン協奏曲No.1&2のアルバムだ。伴奏はアメリカ人指揮者のジェームズ・デプリースト(James DePriest, 1936-2013)が振るモンテカルロフィルハーモニー管弦楽団で、1995年7月にモンテカルロのコングレス・オーディトリアムで録音されたものである。

大概のヴァイオリニストのデビューCDは、伴奏ピアニストを雇ってコンセプチュアルな小品集か、有名どころのヴァイオリン・ソナタを詰め合わせて売れるかどうか様子を見る。一般受けが良く、売れればオーケストラをバックに協奏曲の録音ができ、ドル箱的なタレントと見做されれば、自分で企画を立ててCDも作れる。
以上のようなプロセスを踏むのが一般的なのだが、シューブレの場合は、最初からオーケストラ伴奏の協奏曲、しかもベテランの奏者でも尻込みする重量級の作品を録音している。これはレコード会社としては破格の待遇で、レースで言えばいきなりジェット噴射でスタートを切ったようなものだ。

ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲2曲について、本場ロシア勢の演奏、特にダヴィッド・オイストラフの演奏で満足している人には、それで満足している限り、シューブレの演奏を買い足すべきだとは言わない。むしろ、この2曲を網羅的に集めないとどうにかなってしまう人や、「ハタチそこらのお嬢さんがショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲に挑む」という事実をネタとして面白がる人が、このCDを買うはずだ。

で、演奏の出来はどうか。
これがなかなか善戦しているのである。いや、セルゲイ・プロコフィエフやドミトリー・カバレフスキーのヴァイオリン協奏曲の方がお似合いの芸風ではある。しかし、レオニード・コーガン程ではないにせよ、鞭のように撓るヴァイオリンの音色を駆使して伴奏オーケストラの猛攻を凌ぎ切り、軟ではない演奏家としての肝っ玉を印象付けることに成功している。また、オイストラフのような往年のロシア勢とその後継世代とは違った味わいも持っている。ショスタコーヴィチのこれらの曲が成立した頃の重積的な鬱屈感が薄められ、むしろヴァイオリン独奏の行く手を阻む壁としてのオーケストラとの渡り合いを楽しむようなところがある。深刻ぶることなく素直であることで、往年のロシア勢の演奏で刷り込まれてきたこの曲についての重苦しいイメージが少し和らぐ。シューブレのアプローチでカロル・シマノフスキのヴァイオリン協奏曲2曲を聴いてみたい。

マヌエル・パラウの《東方の協奏曲》を中心に

Artesoro Classicaの記事で、当該の店で入手したCDについていずれ書くという約束をしたので、書いてみることにする。紹介するのは、マヌエル・パラウ(Manuel Palau, 1893-1967)の《東方の協奏曲》(Concierto Levantino)と《劇的協奏曲》(Concierto Dramático)をカップリングしたアルバムである。どちらの曲もマヌエル・ガルドゥフ(Manuel Galduf, 1940-)の指揮するバレンシア自治州青少年管弦楽団(Jove Orquestra de la Generalitat Valenciana)が伴奏をつけているが、《東方の協奏曲》はギター協奏曲なので、ギター独奏をラファエル・セリャレト(Rafael Serrallet, 1971-)、《劇的協奏曲》はピアノ協奏曲なので、ピアノ独奏をバルトメウ・ハウメ(Bartomeu Jaume, 1957-)がそれぞれ担当している。AmazonではこのCDの扱いがなく、配信のみなのが残念。だからこそ、Artesoro Classica経由でなんとか入手したわけだが…。

パラウは、 バレンシア、アルファラ・デ・パトリアルカに生まれたスペインの作曲家。バレンシア音楽院でピアノと作曲を学び、エンリケ・グラナドスの謦咳にも接したが、1926年にパリに留学してシャルル・ケクランとモーリス・ラヴェルの薫陶を受けた。この勉学の成果をバレンシアに持ち帰り、母校のバレンシア音楽院の院長を務めた。つまるところ、近代フランスの音楽の語法をスペインに齎し、後進を育てる形でスペイン音楽の近代化に一役買ったというのが、パラウの功績というわけだ。

パラウの作品は、まだ全貌が明らかになっているわけではないが、《東方の協奏曲》を聴いたことのある人にとっては、パラウのこの作品こそ愛すべきギター協奏曲の第一席であろう。1990年代半ばには、ナルシソ・イエペスのギター独奏と、オドン・アロンソの指揮するスペイン国立管弦楽団の伴奏による録音がCDとして復刻されて流通していた。イエペスはこの曲を1949年に初演した当人なので、この曲を知るという意味では好適である。しかし、これは廃盤になって久しく、国内盤での復刻の兆しもない。イエペス以外にこの曲の録音に挑戦する人はいないのかと、いろいろ探りを入れた結果、「バレンシア音楽学会」(Institut Valencià de la Música)というスペインのローカルなレーベル(どうやらスペインの公共機関らしい)が、この曲のCDを新しく録音してリリースしていることを知り、冒頭で書いたように、Artesoro Classicaの店主の力を借りて、何とか入手することに成功した。CDケース(といってもCD以外はすべて紙製。CDを収納するスリットの紙質が悪く、傷がつきやすいので、別途フィルムケースを用意すべし。)に記載されている製品番号は「PMV010」である。バーコード番号はどこにも記載されていない。

《東方の協奏曲》が知名度の点で後れを取っているのは、ホアキン・ロドリーゴの《アランフェス協奏曲》が大ヒット作として鎮座しているのが原因だ…と考えてみる。19世紀で廃れたギター協奏曲という音楽形態を、1939年にリバイバル・ヒットさせたのが、《アランフェス協奏曲》だった。そんなわけで、数多のギタリストたちが《アランフェス協奏曲》に群がった。《東方の協奏曲》は1947年の作だから、ロドリーゴの作品のように20世紀初のギター協奏曲とは言えない。
《東方の協奏曲》が有名になれないのは、アンドレス・セゴビアが曲作りに関わっていないからだ…と考えてみる。《アランフェス協奏曲》の制作に関われなかったセゴビアは、知己の作曲家たちの尻を叩いて次々とギター協奏曲を書かせた。例えばロドリーゴセゴビアの趣味に合わせて《ある貴紳のための幻想曲》を献呈したし、マヌエル・ポンセは《南の協奏曲》を書き上げた。マリオ・カステルヌォーヴォ=テデスコもアメリカに亡命する前にギター協奏曲第1番を書いてセゴビアに献呈している。これらのセゴビアが作らせたギター協奏曲たちは、《アランフェス協奏曲》以外のギター協奏曲を探す際に、必ずといっていいほど参照される。《東方の協奏曲》の曲作りにかかわったのは、レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ―《アランフェス協奏曲》の初演者―であった。また、デ・ラ・マーサは自分で初演するのではなく、弟子のイエペスに独奏を任せてしまった。被献呈者のこの曲の扱いが微妙なので、この曲の立ち位置も微妙なのだ。
《東方の協奏曲》の知名度が微妙なのは曲がへっぽこなせいだ、と考えてみる。楽式的には、急-緩-急の三楽章構成という協奏曲の基本構成を遵守しており、奇抜な曲ではない。しかし、先に挙げた20世紀のギター協奏曲は、いずれも楽式的に奇抜なところはない。奇抜ではないところは、曲の欠点ではないようだ。使われているモチーフに鼻歌で歌えそうなものが少ないというのは、《アランフェス協奏曲》なんかと比べると不利そうだが、パラウの音楽は無調音楽ではないので、旋律線の甘さは控えめではあっても無味ではない。また、ギター独奏が埋没しないようなオーケストレーションの配慮も、ギター協奏曲としては嬉しい点であろう。そのオーケストラの響きも、弦楽合奏をベースにしながら効果的に木管楽器金管楽器を配置するあたりに、フランスで学んだセンスを感じさせる。聴けば聴くほど、腹八分目のウェル・バランスな爽快サウンドに惹きつけられる。
《東方の協奏曲》が広く認知されないのは、しっかりプロモーションをしないからだ…と考えてみる。これは真っ当な考え方だと、私は思う。興味を持ってもらうには、宣材がないのはかなり不利だ。これは《東方の協奏曲》が抱える問題というよりも、パラウの作品というか、パラウそのものへの評価に関わることだ。そもそもパラウの作品の出版譜を音楽家が所持しているのを見たことがない。楽譜屋さんに行ってもお目にかからないので、そもそもちゃんと出版されているのだろうか、と首をかしげてしまう。彼の作品の録音も、バレンシア音楽学会が少しずつ行っているらしいので、パラウがすっかり忘れられた作曲家になっているわけではないのだろうが、販路の大きいレーベルが手掛けて沢山流通させ、多くの人に興味を持ってもらえるようにしないと、彼の評価は定まらぬまま忘れられてしまうのではないか、と思う。《東方の協奏曲》を聴くにつけ、パラウが知られないまま放置されるのは、なんだか勿体ないように、私は思う。

このパラウの2曲の協奏曲のカップリングのCDの収穫は、これまで聴く機会のなかったピアノとオーケストラのための《劇的協奏曲》を聴けたことである。楽式的には《東方の協奏曲》と大差ない。1946年にいったん完成させ、1954年に改訂したらしい。ただ、「劇的」というタイトルに恥じぬよう、冒頭からオーケストラを咆哮させ、起伏の大きな音楽を作り上げている。ただ、ピョートル・チャイコフスキーのような力業ではなく、ピアノの書法は煌びやか。洒脱な音楽に落ち着くのが、パラウの音楽の美学なのだろう。

Artesoro Classica

岡山には、昔、禁酒会館の一階に「アンダンテ」というクラシック音楽レコード店があった。
私の叔父は、岡山市民会館でコンサートがあると、その行きか帰りに立ち寄って、レコードを物色していたらしい。1991年に岡山シンフォニー・ホール(以下、シンフォニー・ホール)が落成した後も営業を続け、コンサート終了後の感動の残滓を求めるお客さんの良き受け皿になっていた。ただ、この店は10年以上前に廃業していて、今はその場所はカレー屋さんだかカフェだかになっている。

シンフォニー・ホールが出来たとき、その一階にチェーン展開している音楽メディア店の「新星堂」が一階に店を構えていた。コンサートでのホールの開場時間までの暇つぶしには、クラシック音楽好きにとってアンダンテと並ぶうってつけの場所であった。他にCD屋がないわけではなかったのだが、クラシック音楽の売り場にその面積を割いているCD屋さんは、ここが一番だった。その売り場面積を2010年7月中旬の店舗撤退まで守り抜いた人が、現在「アルテゾーロ・クラシカ」の店主をやっている。

アルテゾーロ・クラシカのアルテゾーロとは、「芸術」と「宝物」という言葉のイタリア語をくっつけた店主の造語で、店主本人はとても気に入っているらしく、スタンプ・カードに押すスタンプを最近「藝寶」という文字にしたらしい。ただ、ゴム印なので、文字がつぶれて見えない。
場所は、シンフォニー・ホールの表町商店街筋から、路面電車城下駅を左手に睨みながら横断歩道を渡り、それを渡り終えた後も同じ方向でひたすらまっすぐ進んだところに、右手にある。
その店舗の広さは、かつてのアンダンテよりもちょっと狭く、レトロ感もない。そんな店だから、置いてあるCDも決して多いとは言えないはずなのだが、店主の簡にして要を得た品揃えゆえに、あまりストックの少なさを感じさせないのが不思議なところ。店の構えはガラス張りなのだが、貼ってあるチラシが客の視線除けになっている。このチラシは、演奏するお客さん(プロ・アマ問わず)が、自分たちの企画公演の宣伝にと貼ってあるもので、穴場的なコンサート情報を知る上ではこの上ない情報源となっている。店主にコンサート情報の話を振れば、喜々としてその情報を教えてくれるだろう。店主はお客さんと話すのが好きだ。

アルテゾーロ・クラシカは、岡山のクラシック音楽愛好家の憩いの場の様相を呈しているが、クラシック音楽に詳しくなければ入れない伏魔殿ではない。店主は「激しい曲が欲しい」とか「アンニュイな感じのものない?」とか、お客さんが曖昧な情報を提示しても、お客さんの要望に合致する商品を一生懸命に絞り込んでくれる。誰にも訊けそうにないビギナーな質問にも丁寧に答えてくれる。通って色々訊いてみると、知らないうちに物知りになっているのである。なんにせよ、楽しい買い物が出来る。

この間、マヌエル・パラウというスペインの作曲家の協奏曲集のCDを、アルテゾーロ・クラシカで買った。バレンシア音楽学会というレーベルのCDで、《東方の協奏曲》というギター協奏曲と《劇的な協奏曲》というピアノ協奏曲が入っている。CD屋さんの店頭に並んでいるのを見たこともなく、他のCD屋さんや通信販売のサイトに問い合わせてみても、「知らん」「廃盤だ」「入荷の目途が立たない」と、入手の望みを絶たれてきたものである。そこで最後の一手として、アルテゾーロ・クラシカの店主に頼んでみると、「ディストリビューターサラバンドさんなので、ダメもとで発注かけてみましょう!」ということになった。半年くらい待って入手できたが、これはサラバンド社とアルテゾーロ・クラシカの店主の粘り腰で手に入れさせてもらったようなものである。入手した時には、私と店主で大いに喜んだ。本稿では、このCDについて語る余力はないが、次回には書くつもりでいる。

ポルディ・ミルトナー

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Hastedt "Poldi Mildner am Klavier" - HT6603
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オーストリア出身のピアニスト、ポルディ・ミルトナーの、おそらく放送録音を集めてCD化したもの。このピアニストは、そもそも録音に積極的ではなかったこともあって、あまり録音が出回っていなかった。昨今ではMelo Classicsという歴史的音源の発掘系レーベルが復刻に成功している。そんなMelo ClassicsがCDを出す前にHastedtという音楽出版社がミルトナーのCDをリリースしていた。

HastedtのCDには、以下の曲が収録されている。

フランツ・リスト:ピアノ協奏曲No.1
フランツ・リスト(フェルッチョ・ブゾーニ):ラ・カンパネラ
●アドルフ・シュルツ=エヴラー:ヨハン・シュトラウス2世の《美しき青きドナウ》の主題によるアラベスク
ヨハン・シュトラウス2世(モーリッツ・ローゼンタール編):ウィーンの謝肉祭
フレデリック・ショパンエチュード, op.25-9
フレデリック・ショパンエチュード, op.25-12
●伝ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト:田園変奏曲
カール・マリア・フォン・ウェーバー:コンツェルトシュテュック

リストのピアノ協奏曲No.1とウェーバーのコンツェルトシュテュックは、アルトゥール・ローターの指揮するRIAS交響楽団との共演である。
ローターと共演している演目については、肝心のミルトナーのピアノがやや大人しめであった。
しかし、ラ・カンパネラからローゼンタール編までの作品では、ダイナミックさこそ欠けるものの、難度の高い超絶技巧をものともしない確実な弾きっぷり。ショパンから伝モーツァルトの作品までは、その慎ましい音楽性が作品のイメージに合致していて、美しい演奏に仕上がっている。

ロベール・ソエタン

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BBC Music Magazine Collection Vol.18 No.3 - MM312

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セルゲイ・プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲No.2は、1935年12月1日にマドリードで初演された。初演者はロベール・ソエタンで、伴奏はエンリケ・アルボスの指揮するマドリード交響楽団であった。このCDに収録されているのは、その初演から一年後である1936年12月20日、ロンドンのクイーンズ・ホールでのソエタンの演奏の記録である。伴奏を務めるのはヘンリー・ウッドの指揮するBBC交響楽団。当時の協奏曲録音の常として、独奏ヴァイオリンを強調するバランスでの録音なのだが、意外と音源の保存状態がよく、ウッドの伴奏もしっかり聴き取れる。1940年代後半の録音と言われても違和感のないクオリティだ。

ヴァイオリンを弾くソエタンは、1997年に100歳で亡くなったが、95歳まで現役を貫いたフランスのヴァイオリニストである。11歳の頃からウジェーヌ・イザイにヴァイオリンを学び、13歳の時にはリシュアン・カペーに師事している。演奏活動を開始したのは16歳のときだった。フランス近代音楽の生き字引のような人だったのだが、録音活動にそもそも興味がなかったのか、このCDが登場するまで、入手できる彼の音源は見つからなかった。ソエタンの音源の存在が確認できたというだけでも、このBBCミュージック・マガジンの付録CDは、歴史的音源に興味を持つ人には刺激的だ。

ソエタンとプロコフィエフの出会いは、1932年にまで遡る。イーゴリ・ストラヴィンスキーの懐刀であったサミュエル・ドゥシュキンがソエタンとプロコフィエフのヴァイオリン2挺用のソナタのフランス初演を行い、プロコフィエフもそれに立ち会っていた。しばらく後に、ソエタンのヨーロッパ演奏旅行にプロコフィエフが伴奏者として帯同することになったのだが、1935年初頭にソエタンのファン・クラブが、ソエタンに1年の演奏独占権をもたせるという条件でヴァイオリン協奏曲を書くように依頼を持ちかけてきた。ドゥシュキンと一緒に自作のフランス初演をしてもらった恩義もあって、プロコフィエフは作曲を快諾し、旅行の合間に作品を書き、マドリードでの初演に漕ぎ着けたというわけである。パリで第1楽章の主題を完成させ、ソ連南西部のヴォロネジで第2楽章の主題を着想し、バクーでオーケストレーションを仕上げたという工程からは、完全帰国に向けたプロコフィエフの足跡にも思いを馳せることが出来る。

プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲No.2は、同No.1に比べて保守的な様態を示す。つまるところ、19世紀ロマンティークの協奏曲を下敷きにした作品として捉える向きもある。こういうアプローチに立てば、第2楽章は叙情的で甘美なメロディを歌い上げることになるわけだが、ソエタンのヴァイオリン独奏は、そうした甘美さに浸っていない。